沿革
小倉医師会は明治40年に発足し、平成19年に100周年を迎えました。初代会長は当時の小倉市立病院長・大村秀畝先生で、明治40年から昭和4年まで在任期間21年と長期にわたり会長に就任されました。その間、大正4年から4年間は福岡県医師会会長も兼任され、当時は県医師会の事務所も小倉に設置されていました。
その後、小倉記念病院の初代院長 副島豫四郎先生が第2代会長に就任され、当時の開業医の友好団体である「小倉市医師協和会」が、2万円を投じて小倉城お堀そばの田町に木造二階建ての会館を建設しました(写真1)。現在の小倉医師会会員数は7百数十名を数えますが、当時の会員数は昭和5年に初めて100名を突破して102名となりました。
また昭和7年から第3代会長に就任した北原義尊会長の時代になって初めて、「小倉医師会館」という看板が小倉看護婦学校、小倉産婆学校という看板とともにみられるようになりました。

昭和34年、挾間章雄会長時代には小倉医師会館を堺町に新築移転致しました(写真2)。ちなみに13期25年にわたり日本医師会会長を務められた武見太郎先生が会長に就任されたのが、その2年前の昭和32年のことです。
そして昭和45年(1970年)の5月。高度成長期のまっただ中に第8代前間正則会長のもと、現在地の中島町に、当時の医師会館としては日本有数の鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建ての小倉医師会館が、武見太郎日本医師会会長をはじめたくさんの来賓を迎えて新築落成いたしました(写真3)。
それからの40年は記憶にまだ新しいところですが、市民の皆様、会員の先生方、役員の先生方、職員の皆さん方の大変なご尽力と、医療関係団体や行政など関係各位の皆様のご支援に支えられて、事業内容、規模、会員数などいずれをとりましても福岡県下有数の医師会へと成長することができました。
しかしながら40年が経過した頃より、外観はもとより給排水などの配管や機能的にも老朽化が目立つようになっていました。そこで中村定敏会長時代に外壁等の保全工事をしたほか、会館の新築を視野に近隣の用地取得に向けての具体的な検討を行い、新会館の完成予想図もできあがっていました。


中村会長の後を受けた合馬紘会長は、会館の新築について前向きに検討を重ねました。しかし、看護学校や臨床検査センター、健診事業などの事業を継続させながら新会館を建てることは困難であるとの結論に達しました。一方、専門家による調査の結果、幸いこの会館は当時の優れた設計施工によりきわめて堅牢にできていることが判明。給排水管などの取り替えを含む全面改装により会館機能を数十年伸ばすことができることがわかり、全面改装の方針が決定され、平成22年12月に全面改装工事が竣工(写真4)いたしました。
今後、私ども小倉医師会は、この会館を拠点として会員支援と市民の皆様の健康増進に全力を挙げて取り組み、地域のすべての医療機関の先生方や医療関係団体、行政の皆さんとの強い連携のもとに、ここ北九州を地域医療連携の先進モデル地域として全国に発信できればと願っています。

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